上出来だったでしょ

1945年、釜山の補給部隊にいた父は
一時帰国命令を受けて世田谷の若林に戻っていて
東京大空襲に遭遇しました。
下町の方々のご遺体の処理を終え大陸へと戻り
今度はそこからの引上げの苦労をするのです。

佐賀の港に着いてからも父の苦難は続くのですが
晩年は囲碁と日本舞踊に明け暮れて
穏やかな老後を送っていました。

私は大切な戦友を無事見送って
悲しいけれど少しホッとしています。
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by Kintaro-Sushi | 2010-10-28 22:47 | 宝物 | Comments(6)
Commented by 誰そ彼れ at 2010-10-29 22:16 x
いろはにほへと ちりぢりに。
Commented by わさび at 2010-10-31 16:37 x
誰そ彼れさん
こんな時はあなたとご飯が食べたいです。
Commented by yoshi-pooh at 2010-11-01 15:49 x
わさびさんが還暦までご存命だったんですね。
私は父が36の時の子だったので、79で他界したときは40代前半でした。自分の子はもって年が離れているので、仮に父と同じ年でおさらばしたとして、娘は35、息子は30。娘が還暦まで生きていたとしたら104才(!) ふうーむ、と思ってしまいます。
Commented by aska at 2010-11-01 22:19 x
言葉が見つからず、コメントをずっと迷ってました。
今も見つかりませんが・・・ 
「かっこ良いです」 

Commented by わさび at 2010-11-01 23:11 x

yoshi-pooh さん
私は父が30の時の子ですが
母は私が一歳の時に死んでしまったので
その分も生きてくれたのだと思います。
子供時代も青春時代も恵まれなかった父
石橋をたたいてからも渡らなかった父が
安らかに旅立ってホッとしています。

Commented by わさび at 2010-11-01 23:17 x
aska さん
息も絶え絶えの時も手を胸に置いて
最後までお行儀がよくて看護婦さんもびっくりしていました。
これでもかこれでもかの苦難にもめげず
前向きに生きた父は楽天家の見本みたいでした。
きょうだい三人一致で延命治療をしないの決断は
正しかったと思っています。
ご厚情ありがとうございます。


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